ラ・ムーって「解説する人」が一緒に居たら、また違った展開があったのかも。

また間が空いた。ずっとmixiばっかりなんですけど、あっちは日常のことばかりだし長文が読みにくいし実際に読んでもらいにくい雰囲気なので、あっちに書きにくいことをこっちに書きます。
んで、他人様の書いた内容に便乗するだけなのですが。

ラ・ムー関連『菊池桃子木村カエラ、どっちが本当のロックだ?』(A面)
http://www.hayamiz.jp/2006/05/post_2acf.html

【B面】犬にかぶらせろ!:ラ・ムー結成秘話
http://d.hatena.ne.jp/gotanda6/20070817/ramu


コミックガンボ連載の有名人の噂を検証する漫画(名前忘れた)で、いつだったかテーマが菊池桃子で、ラ・ムー自体がオメガトライブなどのシティ・ポップス系ミュージシャンの仕事づくりのためにわざわざ結成されたなどという話がありました。
んで、88年当時のミュージシャンだと、プロデューサーが前面に出て、自分たちのユニットの結成の動機やら新曲のコンセプトやらいちいち解説する立場の人っていなかったんですよね。後の小室哲哉小林武史は歌う人と一緒に立って曲の解説してたし、一緒に歌わないけどつんくも解説してた。そこにどんな突っ込みどころがあっても、「これはこういう意図があるんだ」という前提を押し出して成り立たせた。
だから「『愛は心の仕事です』ってどういう意味ですか?」「どういうコンセプトで『少年は天使を殺す』ってタイトルになったんですか?」という疑問に(当然疑問を持たれるだろう)いちいち答える人という役割をラ・ムーのプロデューサーなりリーダーなり、あるいは単に年上の人が答えればよかっただろうにという気がするのね。菊池桃子はあのとおりのキャラだから、いかなる疑問にもいちいち論理的で明確な回答を提示するとは思えないし。