ファンロードとかオタク論議とか

 昨日の「オレが考えたマンガ版『電車男』」の書き込みで、「ファンロードみたいだな」と書こうと思ったけどやめた。いや、あの雑誌から漫画家やらクリエーターが輩出してきた役割は知ってるんだけど、あの乗りがダメだった。例えばよくあるネタで「宮下あきらの描いた○○」、つまり男塾の絵柄でこの漫画を書いたらこうなる、という内輪乗りが多かったから、どうも笑えない。例えばあの雑誌で「柴門ふみの描いた○○」ってネタだったら載らなかっただろうと思うし。「ファンロードで通用するものとしないもの」が明確に分かれていたというか。
 そうそう、id:nittagoro:20050112を読んで思ったことですが、自分の世代が「オタク」という記号が実体化したと感じたのは、やっぱり宮崎事件でしたね。自分の周囲を見た限りでは。あの事件が発生した1989年には「アニメージュ」なんかだと本気でその辺の世間との齟齬や、趣味に耽溺した人がどれだけ犯人との類似性が強いかとかそんな特集が組まれたと記憶しています。ファンロードも何かやってたかもしれませんが、雑誌自体嫌いだったので。
 でも、こういう議論は事件になった時、その犯罪の異常性に接近しているかどうか(はっきり言えばどんな犯罪だって接近してないと断言できるけど)ばかりねちねちと続けられて、すぐに飽きられて別の話題になることがほとんどだと思いますね。鉄ちゃんや模型オタクの人は自分の周囲における年上の知り合いに何人かいるのけど、彼らが「オタク」という記号を自覚したとしてもアニメやアイドルのそれよりも自意識やエロスは薄そうですから。鉄ちゃんが事件を起こしたといっても、「制服や標識を盗んだ」とかね。当人のエロスは感じられないだろうし。