読書感想しりとりリレー2005その8・色川武大『うらおもて人生録』(新潮文庫)

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 すっかり夏ですね。梅雨なので太陽のきらめきを感じることはできないのに部屋の湿度を含めて夏だと思わされる季節になってきました。そんな夏もしりとりリレーは続きます。

http://d.hatena.ne.jp/harumachi-an/20050609

 橋立さんから回ってきたのは「う」です。別に「う」が何回来たところで刺したりはしませんが。「う」は探しやすいし。つうか俺も何回、日暮さんに「く」を回しているのかってことになるんですが。つうわけでまた次に「く」が来るような本を選んでしまいました。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4101270023/250-6496610-9392265

 ところが娯楽小説を少し書きなれてくると、変名で発表しているのが気になってくる。自分は片隅でもとにかく文章を発表しているが、変名では採取敵に責任をとろうとしない形なのではあるまいか。どうせ文章を書きだしたのなら、このへんで一度、本名を使って全力投球をしてみよう。
 それで、それまでの娯楽小説をばたっと止めて、中央公論新人賞というのへ本名で応募してみた。この賞は第一回が深沢七郎氏の”楢山節考”で、これはすごい小説だと思っていたし、審査員の顔ぶれも、三島有紀夫、武田泰淳伊藤整の三氏で新人賞としては格調が高いと思えたんでね。
(中略)
 それが、偶然というか、入選してしまってね。
(中略)
 あんなに、レートの高いところに不用意に顔を出すまいと思っていたのについ階段を二、三段駆けあがってしまってね。元ばくち打ちとしたことが、フォームを崩すようなことをしてしまった。
(中略)
 ところが三、四年するうちに、身体が急にふくらんで、具合がわるくなって、長期入院のおそれもあるかなァ、と思えた。それでちょうど話があったのを幸いに、変名で、週刊誌に麻雀小説を一作だけ書こうということになったんだ。入院費稼ぎにね。フリーランサーは病気になると保証がないから。
 その一度だけ、禁を破って後戻りしたんだね。俺としてはなやんで、せめてものことに、阿佐田哲也という名前をつくって、色川武大の方では後戻りしないぞ、と、まァ弁解なんだが。
 ところがその麻雀小説が望外のヒットになって、一作だけではやめられなくなってしまった。けれどもとにかく新人賞を貰ってから十五年後に、やっと本名での小説も、ぽつりぽつり書けるようになって、また少し転進がはかれたんだね。この先、転進は本当にむずかしところに来ているんだけど、出世なんて関係ない。要するに、どこまで行ったって淀まないぞ。

 このエッセイは、著者の青春時代から小説家となるまでの人生を振り返りつつ、一人の「ばくち打ち」としての生き方を「特に劣等生に読んでもらいたい」と語る。各章ごとに著者の手書き文字が見えて来るような、語り口が見えてくるような迫力。
 全体を通して言ってるのは「九勝六敗を目指せ」ということ。人生はプラスマイナスゼロ。勝ちすぎても負け過ぎてもいけない。黒星を換算する余裕を。先手を取る行動力を。なんというか、ドラえもんにそういう道具があったね。「バランス注射」か。
 ギャンブラー時代のことは距離を置いて読めるのに、仕事している時の話を読むと自分にとって脂汗が流れる箇所が続出。
 そもそも勝ち負けも、行動しないとよくわからないし。「おらァ勝ち負けなんて関係ないところで淡々と生きていたいのよ」と思っても、じっとしているだけで負けが続いているという恐ろしい事実。吉凶は生まれた時から始まっていると著者も言ってるし。だから俺は明日も行動するんだろう。賽の目の数を気にしながら。