読書感想しりとりリレー2005その12・幸田文『ちぎれ雲』(講談社文芸文庫)

 今回は「ち」ということで、話題性を狙うなら『チョコレート工場の秘密』なんてどうだろうかと思ってはみたものの、新橋の書店には児童書がありませんでしたので、ここはひとつ講談社文芸文庫あたりで何かないだろうかと探してみたところ、ちょうどいいのがありました。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061962140/qid%3D1125479206/sr%3D1-40/r/250-7177102-2665057

 幸田露伴は1947年(昭和22年)に80歳で亡くなった。この当時の80歳ではかなりの高齢である。幸田文の作家活動は、父の回想を根底に、この時期から始まっている。本人もすでに40歳を越えていた。本書は露伴の病床時から死の直後までの文章を含めた、初期のエッセイ集。
 彼女の執筆活動と平行して日本は高度経済成長期を迎え、欧米文化が浸透し、文章も英語からきたカタカナ語が入り交じるようになった。しかし、彼女自身の思想の大元は、幕末から昭和初期という「古き良き日本」を知っている父親から受け継いだものにある。例えば、本書の中で、永井荷風のことを綴った一節があるが、彼女がなぜ「永井先生」でなく「永井さん」と表記しているか、その理由について、

往々一文いらずのおべっかのつもりか何かで、容易に人を先生にしたがるやつがある。いつ先生と呼ぶ許しを受けたと聞きたいもんだ。謙遜とはどういうことか、しっかり知りもしない癖に、むやみに人を先生と呼びかけるやつがある。呼ばれる因縁を持ちたくない。先生ばやりの世の中にうるさい文句を云うのは野暮だから、わたしは黙って先生と呼ばれてはいる。人はとにかく、もしおまえが誰かを先生と呼ぶならば、よくよく気をつけて押し太いところのないように、上滑りしないように、人を先生と呼ぶことを恥じないだけの資格をととのえてからにしてもらいたい。(すがの)

という父親の言葉があったからだという。

 作家として、そして一人の良き父親としての露伴から受け継いだこと、そして齢四十を過ぎてまでに培ってきた深い洞察力が彼女のエッセイの両翼を担っている。

 若い人の履歴書をいくつか見たことがある。どの人のも生年月日と学校のこととで、おわりに賞罰ナシとあって、その下がだらしのない余白となっている。いかにも若い人の清潔感があるが、あっけなくてそっけないとも云える。それでつい、ばかないたずらごとが浮んだ。これは就職の履歴書だからこういうかたなのだろうが、かた通りの履歴書のほかに病歴・貧乏歴・贅沢歴・恋愛歴・喧嘩歴、いろんな履歴書を提出させたらどうだろう。(このごろ)

 彼女は1990年(平成2年)、86歳まで生きたが、この人が平成のカオス的様相の日本をどう評したか読んでみたかった。もっとも1988年(昭和63年)に病で倒れてからは隠遁生活だったようだけど。