読書感想しりとりリレーその17・白水社 J.D.サリンジャー作 野崎孝訳『ライ麦畑でつかまえて』

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4560070512/249-7779984-6655554

まずは私の過去の書評から。2001年5月6日記す。

 精神病院の患者の独白、というと日本では芥川龍之介の「河童」がある。これは質問者が独白者にとって、まったく見ず知らずの人間だったのに比べて、ホールデンは「気心知れている人」に話すことのできる幸福を得られている、と類推できる。ひょっとしたら薄弱な精神状態が進行して、相手の立場すら明確にできずに幼稚化した人間として独白しているのかもしれないけど。
 読み進めればわかるが、ホールデンは実年齢にふさわしい、もしくは実年齢よりはるかに無垢な人間の感性を持って生きている。世の中をLOVE&HATEで見つめている。好きか嫌いかの二元論をところ構わずふりかざすのは子どもの証拠であって、そこに中庸の精神がないと、現実にぶつかるのは疲れすぎる。疲れるのは子どもであって大人なら疲れない、ということではないのだろうが、この無垢さが、ホールデンに感情移入した人間が世界中にいた、という事実に結びつけられるのだろうが。
 そのLOVE&HATEの中のひとつ、売春婦サニーの緑ドレスの中身は猥雑で、女友だちサリーのスケート用の短いスカートとお尻は可愛い、という二元論は、子どもの心にセクシャルはどう写るかというサンプルになるのではないかと――なんつうて大学の卒論に出してみればよかった。(当方、英文科卒。しかもアメリカ文学専攻)

 この文章を書いてから約2年後に、村上春樹が新訳で『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を上梓していますが、それまでわが国で長い間、原書の翻訳版といえばこの本でした。村上春樹が指摘しているが「いかす」だの「モチ」だのといった当時の流行語が含まれており、現代の若い世代がそのまま読むにはそぐわない箇所があります。とはいえ、それは夏目漱石太宰治を、当時の言葉が含まれているから今の十代には読めないと言わないのと同じように、このスタンダードとなった翻訳も、十代に読ませても遜色はないでしょう。
 つうか、改めて読んだら驚きましたよ。
 自分の周囲の大人や同級生や親族やガールフレンドに対して、その俗物性をあげつらって、自分の美学に合わないからとかたっぱしからバカにする。本当は軽蔑するほどの人間かどうか、本質まで深く掘り下げた付き合い方もしていないくせに、自分の底の浅い価値観でもって切り捨てているから、自分で世界を狭くしていることに気づかない。趣味や文化に独特の視点は持っているが、その知識や情報はせいぜい女の子や自分より下の立場の人間に自慢するしか役立たない。性的な興味はあるけれど深く入ることができない。例えて言えばグラビアアイドルは好きだけどAV女優は嫌いか。よくわかんない例えだよ。
 何かに似ているなあと思ったら、私が日々目にしているブロガーさんたちや、かつてのテキスト系サイト管理人さんたちの、価値観の狭いままで時事ネタやオタクネタをぶった切ってる様なんですね。
 「青春期の視点から大人のインチキに意義申し立てする姿を純粋にありのまま描いている」と評される本書は、同時に大人になりきれない部分の脆弱さ、そしてそれを大人から突っ込まれる危険性も併せ持っているということです。この点はブログ日記が「ありのままを書くことによって本質が出ている」などと表面的な評価を受けるのと似ていると思うのですが。
 本書はジョン・レノンを射殺したマーク・チャップマンの愛読書だったそうですが、あの犯人を含めて、最近のわが国で発生した陰惨な事件の犯人に共通する妄想性、自己顕示欲、短絡性なんてのを呼び起こしそうな内容が随所に含まれています。だけど幸か不幸か、この本はアメリカでも日本でも危険視されることなく永遠のスタンダートとなりました。