共同体の羞恥心

未映子の純粋悲性批判(id:amiyoshidaさん経由)から

ホリエモンの
<金で買えないものは無い>
っていうのに異常にみんな眉間にしわ寄せて拒否反応示してるけど、あれもちょっとわからん。
(中略)
話はそれたが、まあ確かにホリエモンには金で買えた女があったかも知れん、金で買えた命があったかも知れん、そうかもしらんが、俺の女も命も金では買えん、がはは!でええやんか。なんてゆうの、ほんまにホリエモンの物言い価値観が馬鹿馬鹿しいってんなら、無視すればええやんな。んであいつは阿呆やなあと笑ってたらええもんを、なんか、こっけい。(ほんまのところは、みんなが揃ってちゃんと隠してるのに、なんであんなほんまのことをいうんだね、それをいうたら、なんか、ねえ)的な、なんてゆうの、みんなの顔色見ながら維持してゆく共同体の羞恥心というか、いわゆる村的な、そもそも禁忌と欲求の古典的な関係を思ってもみよ!ホリエモンのああいう物言いを叩きたい人たちは実はけっこう、似たような価値観にあこがれてるんじゃないのかなあ。金で買えないものはないっていうの、けっこう図星なんじゃないのかなあ。

 まあ、「愛は金で買えるか」なんてテーマはビートルズの歌やら浜田省吾の歌やらハリウッド映画なんかに出てきて、永遠のテーマだったりするし。
 日本では「金の話をするのは下品」という価値観がおそらくは第二次対戦前まであったと思うし、もっと古く言えば江戸時代の「士農工商」は、「商」をいちばんしたの地位に置いていた。金勘定を扱うという、農や工より卑しい身分だからということで。
 「共同体の羞恥心」というフレーズが気に入ったのでピックアップ。