ナンシー小関

この日記では今後、mixiで書けないこと、もしくはmixi上で書いても友人知人には相手にされないようなことを中心に書いていくことがあると思います、と前置きして。

激しく時期を逃していると思いますが、一時期のはてなで盛り上がっていたかのように思えるナンシー小関問題について。

実は彼(31歳の男性という触れ込みらしいので「彼」と呼ぶ)のコミュと称されるものに一応入ってます。というのは信奉してるわけでも何でもなくてヲチ対象として。(はてなアンテナでも、好きだから見てるというよりアンチだけどヲチ対象としてリンクしてるのあるし)

彼に対する印象は、これまでさんざん言われてるのと同じ。「この絵でほんとに似てると思ってるのかよ?」「コメントがひたすら凡庸」といったところ。
だからといって俺からわざわざ「やーい凡庸」と言いにいったりしませんが。俺だって凡庸だし。

というのも、彼自身の日記および、友人知人向けコミュは管理者の承認を見ないと読めないようになっている上、彼自身が彼に対して批判めいたことを書くとアクセス禁止処置にするのだそうで、彼の行為の是非以前に、「批判は見ざる聞かざる返答せざる」という姿勢こそ非難囂囂という感じにも見えますね。

ただ、そうやって非難する人間をシャットアウトして、信奉者だけ周りで固めといてるせいか、最近のコメントが凡庸からさらに上回って「俺っていいこと言ってるでしょ」というオーラが前面に出てるような小賢しさが感じられます。

人選にもポリシーがない。ナンシー関は時事ネタな人物だとしても自分として興味がない人物を取り上げることはなかった。彼の場合は単に「流行ってる人や事物」を順に並べて、ワイドショーのコメンテーターのごとく面白みもないことを言うだけといった感じです。

ただし、彼のコミュ自体が果たしている役目としては、そんなに悪くないような気がします。

話がそれますが、ナンシー関がエッセイで頻繁に語っていたエピソードとして「毎週、録音したビートたけしオールナイトニッポンを繰り返して聴いていた」というものがあります。たけしの思想が刷り込まれ、影響を受けたということを。
ナンシー関は死の直前まで、週刊誌をはじめ雑誌数誌にテレビ評を連載していました。あれでナンシーの思想が刷り込まれた人が数多くいるでしょう。電波じゃなしに「自分はナンシー関だ」と思ってる人は日本にたくさんいると思う。信奉するあまりに同化(才能や技量のあるなしに)してしまう人が。

もちろんそれらの人のほとんどが凡庸であり、傍目から見たら単に芸能人の悪口を言ってるとしか思えないようなのですが、彼のコミュはそういう人の受け皿になっていると思う。
彼がお題(版画風スタンプとやら、と彼のコメントらしき短文)を出し、コミュの参加者がいろいろコメントする。そのやり取りが健全なものとして機能しているなら、それはそれという気がするのです。